創立50周年
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50年の感謝と将来に向けて
聖光会メディカルケアグループは、令和4年8月に創立50周年を迎えることができました。半世紀にわたり様々な形で支えてくださいました関係者の皆様、患者様、ご利用者様に御礼申し上げると共に、歴史を築き上げてくれた職員各位に感謝と敬意を表します。
創業期と創設者 西村 仁一
聖光会メディカルケアグループは、昭和47年8月、春日部市に豊春中央病院として27床の個人病院で産声を上げました。その後、昭和50年に個人病院から医療法人光仁会へ法人化し、昭和56年には新たにさいたま市(旧浦和市)に医療法人聖仁会を設立しました。
春日部市、さいたま市の両法人の組織強化のために、昭和59年に任意法人として聖光会を設立し、学術、教育啓発活動の推進、福利厚生の充実を進め、医療活動を続けてきました。
創設者である西村仁一は、昭和8年に山梨県大月市で生まれ、戦後の高度成長期に病院事務管理職として経験を積み、40歳時に病院経営者として独立しました。
創業からの想いである 病める人に対し、良き奉仕者たれ を理念に、地域に根差した身近な医療を目指してきました。“医療は急性期”という時代に、将来の高齢化を見据えて、平成12年の介護保険法施行前から訪問診療を推進し、平成8年には訪問看護ステーション、平成9年にはデイサービスセンターを立ち上げるなど、創業者の先見性に富んだ取り組みが、当グループの礎を築き上げました。
春日部市、さいたま市の両法人の組織強化のために、昭和59年に任意法人として聖光会を設立し、学術、教育啓発活動の推進、福利厚生の充実を進め、医療活動を続けてきました。
創設者である西村仁一は、昭和8年に山梨県大月市で生まれ、戦後の高度成長期に病院事務管理職として経験を積み、40歳時に病院経営者として独立しました。
創業からの想いである 病める人に対し、良き奉仕者たれ を理念に、地域に根差した身近な医療を目指してきました。“医療は急性期”という時代に、将来の高齢化を見据えて、平成12年の介護保険法施行前から訪問診療を推進し、平成8年には訪問看護ステーション、平成9年にはデイサービスセンターを立ち上げるなど、創業者の先見性に富んだ取り組みが、当グループの礎を築き上げました。
聖光会メディカルケアグループ
理事長 西村 直久
父の別れと憩いのひと時
平成11年、西村仁一は患っていた末期癌の進行により65歳という若さで生涯を終えました。病に伏せる前の「最期は自院の病床で・・」の言葉とは裏腹に、出てくる言葉は「早く家に帰りたい・・」ばかりで、終末期の2か月間は住み慣れた自宅で過ごすことになりました。
当時、小生は32歳の若輩者で、医師としても病院経営者としても右往左往しておりましたが、初めて在宅医療を実践し自宅で父親を看取ったことは、医師としてとても貴重な経験となりました。
昭和ひとけた生まれで、家にほぼ帰らず働き続けた父が家族と共に過ごせた憩いのひと時であったかもしれません。今では在宅で看取ることは普遍的なものになりましたが、当時、当院では件数も少なく、この出来事はグループ運営の方向性を再認識する機会になりました。
当時、小生は32歳の若輩者で、医師としても病院経営者としても右往左往しておりましたが、初めて在宅医療を実践し自宅で父親を看取ったことは、医師としてとても貴重な経験となりました。
昭和ひとけた生まれで、家にほぼ帰らず働き続けた父が家族と共に過ごせた憩いのひと時であったかもしれません。今では在宅で看取ることは普遍的なものになりましたが、当時、当院では件数も少なく、この出来事はグループ運営の方向性を再認識する機会になりました。
事業承継と不安な船出
事業を承継した平成11年頃は、社会保障費の増大が叫ばれ始め、医療経営が厳しさを増していく最中でした。創業者を失い、不慣れな二代目の舵取りで不安な船出となった聖光会ですが、長年運営に携わってきた先達職員の努力と支援により、新たな一歩を踏み出すことができました。経営者としては大馬鹿であった私ですが、新任医師として外来から入院、訪問診療、当直まで、前線の医師業務を必死に汗したのを覚えています。
当時、小生は、獨協医科大学越谷病院(現獨協医科大学埼玉医療センター)循環器内科教室に在局しておりましたが、急な事業承継ということで、当院を医局の派遣病院にしていただき、4年間医局の派遣医として、自院の運営をしながら在局することが出来ました。
特段のご配慮をいただきました諸岡成徳教授(現獨協医科大学名誉教授)、内科部長として一緒に当院に赴任くださいました星和宏先輩(現星内科クリニック院長)には感謝に堪えません。そして、何よりも、暖かく迎え入れていただきました医師会の先生方、周辺の医療機関、介護・福祉事業者、行政関係の皆様には改めて深くお礼申し上げます。
当時、小生は、獨協医科大学越谷病院(現獨協医科大学埼玉医療センター)循環器内科教室に在局しておりましたが、急な事業承継ということで、当院を医局の派遣病院にしていただき、4年間医局の派遣医として、自院の運営をしながら在局することが出来ました。
特段のご配慮をいただきました諸岡成徳教授(現獨協医科大学名誉教授)、内科部長として一緒に当院に赴任くださいました星和宏先輩(現星内科クリニック院長)には感謝に堪えません。そして、何よりも、暖かく迎え入れていただきました医師会の先生方、周辺の医療機関、介護・福祉事業者、行政関係の皆様には改めて深くお礼申し上げます。
高齢化社会に向けて、成長期から成熟期へ
平成12年の介護保険制度を皮切りに、高齢化社会に向けて地域で医療と介護の一体的な提供がもとめられ、平成26年に医療介護総合確保推進法が施行されました。住み慣れた地域で生涯幸せに暮らせるための地域包括ケアシステムの構築、病院の機能分化や適正病床の整備を目的とした地域医療構想など、医療機関や介護事業所では事業の見直しや新たな展開を迫られました。
当グループにおいても、地域包括ケアの一翼を担う体制整備として、西部総合病院と春日部厚生病院の救急医療、予防医療の充実、急性期から慢性期入院までの多機能化、南部厚生病院の慢性期入院機能の強化と緩和ケア病棟の増設、春日部厚生クリニック、西部在宅ケアセンター、ひまわり在宅ケアセンターにおける在宅医療、居宅介護支援を拡充してきました。
公益性の高い行政事業としては、さいたま市から病児保育事業、認知症初期集中支援チーム、春日部市から地域包括支援センター、春日部市地域包括ケアシステム推進センター(在宅医療連携拠点)を受託しました。
令和3年には、さいたま市岩槻区で特別養護老人ホームを営む社会福祉法人大幸会が関連法人となり、現在、3法人による医療・介護・福祉サービスを展開しております。
当グループにおいても、地域包括ケアの一翼を担う体制整備として、西部総合病院と春日部厚生病院の救急医療、予防医療の充実、急性期から慢性期入院までの多機能化、南部厚生病院の慢性期入院機能の強化と緩和ケア病棟の増設、春日部厚生クリニック、西部在宅ケアセンター、ひまわり在宅ケアセンターにおける在宅医療、居宅介護支援を拡充してきました。
公益性の高い行政事業としては、さいたま市から病児保育事業、認知症初期集中支援チーム、春日部市から地域包括支援センター、春日部市地域包括ケアシステム推進センター(在宅医療連携拠点)を受託しました。
令和3年には、さいたま市岩槻区で特別養護老人ホームを営む社会福祉法人大幸会が関連法人となり、現在、3法人による医療・介護・福祉サービスを展開しております。
コロナ禍と医療DX
新型コロナウイルス感染症に罹患された方々にお悔やみとお見舞いを申し上げます。我が国ではこの3年半で約7万5千人がCOVID-19の犠牲となりました。
令和元年から続く新型コロナウイルス感染症の感染拡大で、人生初のパンデミックを経験し、病院での集団感染(クラスター)や濃厚接触による職員欠員に見舞われながらも、どうにか感染対策と通常医療を両立し、サービスが途絶えることなく運営することができました。
コロナ禍を契機に加速したAI(人工知能)やICT(情報通信機器)を活用した診療や管理、ロボットによる手術や介護支援などの医療DX(デジタルトランスフォーメーション)は、感染対策だけでなく、職員の高齢化や医療・介護の人材不足に対しても効果的と考えています。当グループでも、朝礼や各会議、委員会、面会や面接、学術活動などでICTを活用してきました。診療においても、AI問診やオンライン診療、電子カルテやオンライン資格確認システムの早期導入に取り組みました。今後も医療・介護サービスの効率化、患者様、医療者を含めた人生100年時代のためにも積極的にDXを進めていきます。
令和元年から続く新型コロナウイルス感染症の感染拡大で、人生初のパンデミックを経験し、病院での集団感染(クラスター)や濃厚接触による職員欠員に見舞われながらも、どうにか感染対策と通常医療を両立し、サービスが途絶えることなく運営することができました。
コロナ禍を契機に加速したAI(人工知能)やICT(情報通信機器)を活用した診療や管理、ロボットによる手術や介護支援などの医療DX(デジタルトランスフォーメーション)は、感染対策だけでなく、職員の高齢化や医療・介護の人材不足に対しても効果的と考えています。当グループでも、朝礼や各会議、委員会、面会や面接、学術活動などでICTを活用してきました。診療においても、AI問診やオンライン診療、電子カルテやオンライン資格確認システムの早期導入に取り組みました。今後も医療・介護サービスの効率化、患者様、医療者を含めた人生100年時代のためにも積極的にDXを進めていきます。
全てに感謝、将来に向けて
50周年の節目を迎え、将来に向けて「求められているものは何か」「果たすべき役割はなにか」を明確にするために、創業からの理念を 人と地域に寄り添い続ける ~Well being for you~ に改め、グループ名称を 聖光会メディカルケアグループとさせていただきました。
この先50年、高齢化と人口減少の問題が懸念されています。過疎化や人手不足による社会インフラの縮小など、医療や介護においても他人事ではありません。人々が生きて生活していくうえで、医療や介護はなくてはならないものです。地域包括ケアシステムの充実は人口増加や地域振興に寄与するものです。地域共生社会を目指す一員として、これからも地域に寄り添い続けていきます。
そして、半世紀にわたりこの地で事業を継続できたのは、地域の防災対応や自然環境にも恵まれたからです。平成23年3月11日の東日本大震災では、原発事故後の電力不足による計画停電や物資が不足するなかで、どうにか運営を継続することができました。建物では、老朽化していた春日部厚生療養病院(旧豊春中央病院)が半壊するなどの影響を受けましたが、幸い震災の前の年に南部厚生病院として病院を移転していたこともあり、運よく難を逃れることができました。
当グループでは医療や介護の視点から「SDGs」への取り組みを開始し、微力ながら持続可能な社会、環境にも配慮した運営に努めていきます。
これからも、この世に生を受けた喜びと責任、医療・介護従事者としての誇りと自覚を深く心に刻みながら、皆様と共に歩んでゆく所存であります。
今後とも 聖光会メディカルケアグループに対し、末長くご指導ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
この先50年、高齢化と人口減少の問題が懸念されています。過疎化や人手不足による社会インフラの縮小など、医療や介護においても他人事ではありません。人々が生きて生活していくうえで、医療や介護はなくてはならないものです。地域包括ケアシステムの充実は人口増加や地域振興に寄与するものです。地域共生社会を目指す一員として、これからも地域に寄り添い続けていきます。
そして、半世紀にわたりこの地で事業を継続できたのは、地域の防災対応や自然環境にも恵まれたからです。平成23年3月11日の東日本大震災では、原発事故後の電力不足による計画停電や物資が不足するなかで、どうにか運営を継続することができました。建物では、老朽化していた春日部厚生療養病院(旧豊春中央病院)が半壊するなどの影響を受けましたが、幸い震災の前の年に南部厚生病院として病院を移転していたこともあり、運よく難を逃れることができました。
当グループでは医療や介護の視点から「SDGs」への取り組みを開始し、微力ながら持続可能な社会、環境にも配慮した運営に努めていきます。
これからも、この世に生を受けた喜びと責任、医療・介護従事者としての誇りと自覚を深く心に刻みながら、皆様と共に歩んでゆく所存であります。
今後とも 聖光会メディカルケアグループに対し、末長くご指導ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
令和5年8月吉日
聖光会メディカルケアグループ
理事長 西村 直久
聖光会メディカルケアグループ
理事長 西村 直久
記念式典
理事長 西村 直久
創立50周年記念式典の様子
祝賀会
中村 あゆみ さん
コンサート会場のように盛り上げてくださいました
ベストオブミス埼玉2022
北村 理奈 さん
会場が華やかになりました
林文夫チェルシーカルテット演奏
秩父屋台囃子の和太鼓
しののめ会
迫力ある音と響きをパフォーマンスいただきました
50周年記念ロゴ
カラフルな色には、持続可能な医療・介護・福祉のために、地球環境に配慮しSDGsに取り組んでいきたい、という思いを込めました。
50年のあゆみ
聖光会メディカルケアグループは、各病院・事業所の学術・文化・福利厚生活動を推進してきました。お陰様で聖仁会・光仁会・大幸会あわせて19事業所、職員数も1,000名を超す大所帯になりました。
ここでは、聖光会メディカルケアグループの50年の歩をご紹介いたします。
ここでは、聖光会メディカルケアグループの50年の歩をご紹介いたします。
昭和47年 | 8月 | 春日部市下蛭田に豊春中央病院開設 ベッド数 27床 |
創設者 西村 仁一
豊春中央病院
昭和50年 | 3月 | 医療法人光仁会設立 医療法人光仁会豊春中央病院に組織変更 |
昭和51年 | 9月 | 豊春中央病院第1期増築工事完成 ベッド数 43床増床 合計70床 |
昭和54年 | 6月 | 大宮市土手町に北大宮病院を開設 ベッド数 96 床 |
昭和55年 | 12月 | 浦和市上大久保に西部病院を開設 ベッド数 130 床 任意法人白十字協議会を設立 |
昭和56年 | 7月 | 医療法人聖仁会設立 医療法人聖仁会北大宮病院に組織変更 |
11月 | 春日部市緑町に医療法人光仁会春日部厚生病院を開設 ベッド数 152床 |
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昭和59年 | 3月 | 西部病院法人許可に伴い医療法人聖仁会西部病院に組織変更 |
4月 | 西部病院法人許可に伴い任意法人は白十字協議会解散 組織の充実を計るため新たに任意法人聖光会グループを設立 |
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10月 | 医療法人光仁会豊春中央病院名称変更 医療法人光仁会春日部東部病院となる |
昭和62年 | 1月 | 春日部東部病院第2期増改築工事完成 ベッド数 76床増床 合計 146床 西部病院第1期増改築工事完成 ベッド数 80床増床 合計 210床 |
12月 | 北大宮病院増床 ベッド数 6床増床 合計 102床 |
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平成1年 | 4月 | 春日部厚生病院第1期増改築工事完成 ベッド数 30床増床 合計 182床 |
平成8年 | 2月 | 西部病院第2期増築工事完成 管理棟完成 |
10月 | 医療法人光仁会 訪問看護ステーションひまわり開設 |
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平成9年 | 4月 | 西部病院第3期増改築工事完成 ベッド数 70床増床 合計 280床 北大宮病院より西部病院へ70床移設 ベッド数 32床 |
11月 | 春日部市下蛭田に医療法人光仁会春日部東部クリニック開設 |
平成10年 | 6月 | 医療法人聖仁会 北大宮病院 西部病院と統合のため廃止 |
8月 | 医療法人聖仁会西部病院名称変更 医療法人聖仁会西部病院となる |
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平成12年 | 1月 | 西部総合病院第4期改修工事完成 ベッド数 274床 医療法人光仁会春日部東部クリニック在宅介護支援センター開設 |
2月 | 医療法人聖仁会 訪問看護ステーションさくら開設 医療法人聖仁会 在宅介護支援センター大久保開設 |
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平成13年 | 5月 | 医療法人聖仁会 訪問介護ステーションさくら開設 医療法人聖仁会 デイサービスセンターさくらの里開設 |
平成14年 | 10月 | 春日部厚生病院第2期増改築工事完成 ベッド数 8床増床 合計 190床 |
平成15年 | 1月 | 春日部東部病院第3期改修工事完成 ベッド数 110床 |
5月 | 医療法人光仁会 春日部東部クリニック在宅介護支援センター名称変更 医療法人光仁会 在宅介護支援センターひまわりとなる 医療法人光仁会 訪問介護ステーションひまわり開設 |
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平成16年 | 1月 | 医療法人光仁会 居宅介護支援事業所ひまわり開設 |
4月 | 医療法人光仁会 春日部東部病院・春日部東部クリニック名称変更 医療法人光仁会 春日部厚生療養病院・春日部厚生クリニックとなる |
平成18年 | 4月 | 春日部市第六地域包括支援センター開設 |
平成21年 | 11月 | 医療法人光仁会 春日部厚生療養病院 移転のため廃止 |
12月 | 春日部市大場に医療法人光仁会南部厚生病院開設 ベッド数 108床 |
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平成25年 | 4月 | 春日部定期巡回・随時対応型訪問介護看護ひまわりケアセンター開設 |
平成26年 | 4月 | 医療法人光仁会 居宅介護支援事業所ひまわり武里開設 |
平成27年 | 4月 | 医療法人光仁会 春日部市地域包括ケアシステム推進センター開設 |
10月 | 医療法人光仁会 居宅介護支援事業所ひまわり厚生開設 |
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平成30年 | 12月 | 医療法人光仁会 居宅介護支援事業所ひまわり厚生廃止 |
平成31年 | 2月 | 医療法人聖仁会 西部総合病院 健診センター開設 |
令和1年 | 7月 | 医療法人光仁会 南部厚生病院 緩和ケア病棟 20床増床 合計128床 |
令和3年 | 7月 | 社会福祉法人大幸会彩幸の杜 関連法人となる |
令和4年 | 4月 | 医療法人光仁会 南部厚生病院 緩和ケア病棟 8床増床 合計136床 |
6月 | 組織名を聖光会メディカルケアグループへ変更 | |
8月 | 創立50周年を迎える | |
令和5年 | 4月 | 社会福祉法人大幸会 ケアプランセンター彩幸の杜開設 |
8月 | 創立50周年記念式典・祝賀会を開催 |